さいとう・たかを賞は、さいとう・たかをの志を受け継ぎ、分業システムによるエンタテイメントの王道をいく作品作りに挑戦する次世代の制作者たちを表彰し、その制作文化を次代に継承するために創設されました。
第8回さいとう・たかを賞最終選考会は2024年11月13日に行われました。本年度も選考委員の許可を得て、最終選考での議論の模様を一部特別公開いたします。
◆第8回さいとう・たかを賞ノミネート作品
『きみの絶滅する前に』
(原作:後谷戸隆、作画:我孫子楽人 講談社 コミックDAYS掲載)
『高度に発達した医学は魔法と区別がつかない』
(原作:津田彷徨、作画:瀧下信英 講談社 月刊モーニングツー掲載)
『しょせん他人事ですから ~とある弁護士の本音の仕事~』
(原作:左藤真通、作画: 富士屋カツヒト 白泉社 黒蜜掲載)
『平和の国の島崎へ』
(原作:濱田轟天、作画:瀬下猛 講談社 モーニング掲載)
『星野くん、したがって!』
(原作:ほしのディスコ、作画: オジロマコト 小学館 週刊ビッグコミックスピリッツ掲載)
――まず、作品名の五十音順に、1作品ごとの総評を伺えればと思います。
『きみの絶滅する前に』
長崎尚志(以下、長崎):
こういう寓話的な作品というのは、マンガのひとつの形態としてはありつつ、最近少なかったと思うので、こうして選考の対象として上がってくるのはいいことだなと思いました。ただ、面白いんですが、ちょっと寓話的すぎるという点で、さいとう・たかを賞としてはどうかな…と考えているところです。
佐藤優(以下、佐藤):
これ、面白いんですよ。基本構成が輪廻転生になっていて、石をシンボルとして使っている。ただ最後のところが、寓話としてはもう少し上手く落とす方法があったのではないか、あるいは全然落とさないというやり方もあると思いますが、そこをぼかしているというよりは、詰めきれていなかったんじゃないかな、という感じがしました。
小山ゆう(以下、小山):
非常に物悲しくて、僕は好きな作品です。ただ、どうしても全1巻というのが、他の6,7巻出ている作品と比較した時に、どうなのかなという…。
やまさき十三(以下、やまさき)
作品としては本当に素直に読めたんですけど、もうひとつ何か足りないなと…上手く説明できないけど。美しくて悲しいんだけど、絶滅していく動物や、人間も含めて、「最後の哀しさ」ってなんだろうな、というあたりが…もう少し、掘り下げてあったら面白かったかなという思いがあります。
長崎:
寓意があると思って読んでいるんですけど、もうひとつ伝わらないんですよね。手がかりをもうちょっと入れてくれたら理解できたと思うんですけど、なんていうかな…ちょっと抽象的すぎると僕は思った。これだったらむしろ、絵本にしちゃったほうがいいんじゃないのか、みたいな印象も受けたんです。
佐藤:
これ、ラッコのエピソードが扱っているのは、おそらく乱獲でしょう。それから、ペンギンはたぶん地球温暖化だと思う。それでカラスは、ゴミ袋がエサとして出てくるということで、「きれいな社会をつくろう」という考えだと。つまり通底しているテーマは結局、人間対動物。人間がいるから世の中が悪くなるという。
でも引っかかっちゃうのは、189ページで「ペンギンを皆殺しにするよりもずっと/ずっといいことをね」という台詞がある。これの意味することが、読者はなんとなく思い浮かばなきゃいけないんだけど、そこのところが…。
長崎:
僕は途中から、ペンギンは人間のことなのかな?と思いながら読んだりもしたんですけど。
佐藤:
そうなんですよね。ペンギンが重武装してるでしょう? ほかの動物たちは、積極的な破壊活動をせずに滅びていく。だから、ペンギンとほかの子たちを対立させるのかな?と思ったら、そうでもないと。
長崎:
そうなんです。それで、カラスとかも人間…被害を受けている人間のことなのかな?とも思ったんですけど…。
佐藤:
カラスも難しい。要するにこのカラス、東京のカラスなんだよね。だからこの「カラス」も、「東京のカラス」の寓意なのかな?と思う。
長崎:
僕はそういうふうには読めなかったんですよね…。
佐藤:
だから、寓意というのは、ポイントごとの寓意がずれてしまうと、全体がわからなくなってしまうんですよ。
やまさき:
読者の反応はどうだったんですか?
――マンガアプリ「コミックDAYS」でランキング1位を獲得しているほか、アメリカの出版社から翻訳オファーが相次いだそうです。
佐藤:
ああ、アメリカの出版社からオファーがあるというのはよくわかりますね。アメリカ人もヨーロッパ人もロシア人も、これ、「ペンギン=人間」と思って読むと思う。
それで、アプリですごく反響があったというのは、最後を上手く落とし込めていないということで、逆にバーッと広がるんですよ、想像が。同じ寓意でも、わかりやすすぎると、寓話じゃなくなってしまうから。
長崎:
それはあるでしょうね。
佐藤:
これ、原作・作画・編集の3人で合議して作っているということだけど、最後のオチを上手く統一させたら――あるいは、オチなしにするってことを決めてあれば、それでも良かったと思うんだけど――たとえば『100万回生きたねこ』だったら、最後はもう転生しないというオチになっているでしょう。全1巻でまとめるというのは大変で、その意味での完成度は高かったけど、いずれにしても、1章と最終章が、もう少し噛み合ってほしかった。
『高度に発達した医学は魔法と区別がつかない』
長崎:
僕はわりとこの作品、好きですね。離島の医者ものかと思ったら突然話が変わって、いわゆるヒロイックファンタジーになる。それで、異世界でも現代医学が通用するかという。その発想が斬新で、かなり面白く読めました。アイデアは非常に秀逸だと思います。
佐藤:
私は逆に、いわゆる異界ものの約束事をよく知らないので…。離島のお医者さんをすごくリアルに描く物語から異界に行って、行ったっきりならまだいいんだけど、途中で一度、現実の世界が出てくるじゃないですか。
長崎:
仲間が探しに来るところですね。
佐藤:
そこで、たとえば異界で足りないもの…抗生剤なんかが異界に届くとか。そういう使い方をするのかと思ったら、そうじゃなかった。それが気になっちゃいました。あとは、細かいところまで非常によく調べてますね。
小山:
僕は、非常に個人的な感覚で申し訳ないんだけど、ちょっとね、「異世界」すぎちゃって…それでなかなか感情移入できなくて。申し訳ない。
長崎:
ファンタジーに抵抗がなければ面白いんですよ。自然に入っていけるかいけないか。全然読めない人もいるので、ファンタジーって。
小山:
これが好きな人たちがいるのはわかっているんですけど、こういう、特異な世界にしなきゃ描けなかったのかな?というか…。でも、「こういう世界」が描きたいってことなんですよね。
画力は本当にすごいと思います。細かくて、綺麗だし。
長崎:
形としては、タイムスリップした人間が、現代の知識を活かして成功するっていう話が、昔からあるじゃないですか。それを魔界に置き換えているんですよ。そういう意味では面白いなと思ったのと、結局、現代医学が通じるところに、笑っちゃったんですよ。「きっとこいつにも胃があるに違いない」とか。
佐藤:
約束事がたくさんあるような感じがするんですよね。たとえば耳が猫になってたりとか。ただ面白かったのは、悪い子が1人もいない。キマイラもいい子だし、竜もいい子だし。優しい子たちばっかりで物語を作ってるというのが。
あと、着想がいいなと思ったのは、本来なら内視鏡を使わないといけないけど、竜になれば体が大きくなるということで、人間自身が竜の体内に入っていく。こういうのは面白いなと思いました。
やまさき:
僕はこれ、朝10時に読み始めて、夕方に読み終えたんですが、立ち上がった時、こう…目眩がしたんですね。昼飯抜きで読んだので、腹が減ったせいか、この作品のせいかはわからないんですが(笑)。とにかく、面白い世界に巻き込まれたことは確かです。原作者の豊富な知識と構成力もすごい。結局この作者は、科学と宗教の問題を突き詰めていこうとしているのかなと自分なりに整理したんですが、そのあたりの寓意をわかりやすくしていくと、もっと面白くなるかなと思いました。
ただ1箇所、3巻の74ページで、「野生動物の爪は不潔なのでこのまま放置するとまずいかもしれません」という台詞がある。ここはたしか異世界のはずなのに、「野生動物」という言い方が出てくるのが…。
一同:(笑)。
やまさき:
えっ、というふうにね。ここだけ現実、人間界に戻ってるな?と、ちょっと妙に思ったんですが(笑)。まあ、この作品には圧倒されました。
長崎:
ただちょっとね、医学の注釈が多すぎるんですよ。そこは欠点だなと思って。そこまで読む人もいるんだろうけど、普通は読み飛ばしちゃうじゃないですか。
やまさき:
この医学的知識っていうのは、先端のレベルなのかな?
佐藤:
研究の最先端というわけじゃないだろうけど、大学病院の標準治療で提供している、一応定着している医療、というあたりだと思います。歴史的なウンチクもいろいろ出てきて、たとえばマニュアルを作るエピソードで、あえて解体新書を出してくるとか。そういうところを、面白いと思うか、ちょっとうるさいと思うかっていうのは、評価が分かれるところだと思いますよね。「楽しめる」ことを優先するんだったら、医学や歴史のところは、そんなに細部にこだわらなくていいんじゃないかと。
長崎:
それから佐藤さんがおっしゃった、現代に戻るシーンから何か展開するっていうのは、アイデアとしてはたしかにあり得ると思います。ただ、それをやると『漂流教室』になっちゃうんですよね(笑)。
佐藤:
やっぱり冒頭のところで、無医村の問題を結構真面目にやってたから、先生が消えちゃって大丈夫なのかって、心配になる…(笑)。
長崎:
それを気にして出したんでしょう、あのシーンは。たとえば現代に戻ったら2時間くらいしか経っていない、みたいな話にするのかなと思ったら、時間は同じように並行して動いていると。それを宣言する意味もあって、友達を出したのかと思いました。そこも含めて斬新な作品ということで、評価できますね。
佐藤:
あとこれ、原作の津田さんが、最初に一番強いところで勝負しちゃってるでしょう。消化器内科の先生だから、胃と、それから盲腸の手術。そこで専門医の知識を使っている。この先、別の場所に行く時はすごく大変だと思う。心臓とか。
長崎:
たしかに。脳とかに行っちゃったらどうするんでしょうね?
佐藤:
最初のキマイラに刺さっている槍は単純な外科的処置だから、お医者さんだったら大体書けるけど、その次の、内臓の中での縫合とか、腫瘍とかっていうのは、専門医じゃないと書けないと思う。一旦その濃度を強くしてしまうと、同じ濃度で続けていかなきゃいけないから、結構大変だと思います。
『しょせん他人事ですから~とある弁護士の本音の仕事~』(以下『しょせん他人事ですから』)
長崎:
これもまた、よくある弁護士ものかと思ったら、ネット関係のトラブルに絞っているということで、一種新しい表現で、面白いジャンルだなと思いました。キャラクターの扱い、特に2人目の弁護士がやや中途半端になっている気がして、引っかかるところはありますが、賞の対象としてはあり得ると思います。
小山:
ネットで誹謗中傷をしているのはこういう人間で、あんまり悪いと思っていないっていうのも、そうなんだろうなあと…。そういう意味で、非常に興味は湧きました。ただ、なんというか、知識を与えてもらったとは思うけど、これがマンガとして、すごく面白かったかというと、それはちょっと別かなと。
やまさき:
僕はこれ、読むのがだんだん苦しくなりましたね…。つまり、作中に出てくる単語がわからないので。ただ、SNSを使う人たちの間で誹謗中傷が起きて、弁護士が出てくるほどの問題になっているということ、それをどういう人が起こしているかということは、初めて知ったし、ネット音痴の僕も、読んでいてよく理解できました。
佐藤:
これは特に、金の話が非常に実態に近い。お金のことをこんなにリアルに描いている弁護士ものは初めてだと思う。それがすごくいいと思うんです。自分の名誉を守ろうとしたら、少なくとも300万円くらいはお金を持っていなきゃいけないということで、格差社会が見えてくるところもあって。
それから、「しょせん他人事」っていう考え方は、実はお医者さんにとっても、弁護士にとっても、税理士にとっても、共依存関係に陥らないために重要であるからです。それと、「裁判での勝ち負けと善悪は違う」。この見方は、たとえばロシア・ウクライナ戦争なんかを考える時にも役立つわけです。善いものが負け、悪いものが勝つこともある。そういうことは、世界のどこにでもあり得るということで。そういうメッセージ性がある。
ただ、小山先生がおっしゃるように、この作品をエンタテインメントとして見た時に、細かい知識をどう感じるか。ちょっと学習漫画というか、教科書的になってしまっているので。
やまさき:
今の小中学生とか、若い人たちにとってはきっと、共感しやすい話だよね。
長崎:
そうですね。実際に被害を受けている人がいっぱいいるわけで、それこそ他人事じゃないと思って読んでるでしょう。だから、今の世の中にぴったりの作品ではあるんですよ。そういう意味では、たとえば加害者への請求額が安すぎるとか、そういう話が出てきたら僕はもっと乗ったんですけど。アメリカ並みにとは言わないまでも。
佐藤:
そこもリアリティがあるんですよね。(裁判までに)かかったお金は取り返せない。私がある評論家を名誉毀損で訴えた時は、書類を作るだけで170万円かかりました。これは、何も弁護士が暴利を貪っているわけじゃないんだよね。時間単価に換算するとそれだけかかると。それを考えると、この作中のケースは、かなり良心的な価格設定をしていると思う。
小山:
加害者が、自分が悪いとは思ってないというのがリアルですよね。そうそう、そうだろうな…と。
佐藤:
形だけ謝るというね。そこのリアリティもすごかった。
長崎:
このテーマを取り上げた編集者は優秀だと思います。それと、この作品はTVドラマ化しましたね。TVが好きそうな作品だなと思って読んでたんですけど。
佐藤:
大企業の部長が、誹謗中傷がきっかけで職を失う…なんていうのは、非常にTV向きだしね。だからこれ、社会的な影響力もすごく持っている作品で、どういうことかというと、TVドラマになれば、必ずAmazonプライムビデオやNetflixでも配信される。波及力という意味では、この5作の中で一番強い。編集者はそこまで読んでいたかもしれない。
長崎:
ただ、弁護士のキャラクターがやや類型的ですよね。それが気になってる。逆にわりとキャラクターの自由範囲が広くて、そこもTV向きなんですけど。
佐藤:
それから、長崎さんも最初におっしゃった、整理整頓が苦手な「イソベン」は、キャラクターとして必要なのか?というところですよね。彼女を主人公と全く価値観が違う、正義に燃えている弁護士――たとえば「他人事」の掛け軸を破っちゃうとか――そういうキャラクターにするのかと思ったら、そうじゃない。このキャラクターを立てることによって、作品の奥行きがどう広がっていくのか。
やまさき:
まあ、この作品はこれからもますますリアルになっていくテーマを扱っていると思うよね。残念ながらこの4人の中で、僕と小山くんはネットに疎いということで、少し入りきれなかったということはあるんだけど、ほかの作品とも比較しながら、後で見直しましょうか。
『平和の国の島崎へ』
長崎:
いわゆる市井に、とてつもないプロフェッショナルの、殺人能力のある奴が潜んでいるというパターンは、今わりとマンガ界で流行っているんですけど、その中でもこの作品は、人間の成長という部分も含めて、かなりきちんと描いている。敵の背景をちょっとファンタジーにして省略している描き方も新しくて、今回の候補作の中では、作品として一番優れていると思いました。
佐藤:
これは非常にリアリティのあるマンガで、というのは、人質にとった子供をテロリストに育て上げるっていうのは、中東では日常的に、ごく一般的に行われていることなので。そういう殺しが日常になっている世界を、もし日本に持ってきたらどうなる?という思考実験と、その世界が表出するときの暴力性。それから食べ物なんかも、本当に現地に行って食べた人にしか描けない表現になっている。そういった細部のこだわりも本当に面白かったから、私は今のところ、これが一押しです。
小山:
僕も一番好きです。まず、アクションシーンの描き方が非常に上手いです。登場人物たちもみんな、いかにもっていう顔をしていて。
長崎:
殺陣のシーン、よくできていますよね。最近の映画での流行の殺陣は、正式には「ハンド・トゥ・ハンド・コンバット」というんですけど…、近接戦と銃撃戦を組み合わせた、変わった動きをとるんです。その動きを、たとえ原作者が指示したとしても、漫画家に興味がなければ上手く描けないんですけど、そのあたりのコマ割りなんかもとても上手くて。で、コマ割りといえば小山先生なので、同じように思ったんだと思いますけど…非常にこう、相手の倒し方なんかも上手く描いてあって。
小山:
本当に上手いと思います。
長崎:
だからこれ、漫画家さんが特別に興味を持って描いてらっしゃると思うんです。そういう部分でも評価できる。プロの作品として完成度が一番高いというのもあるけど、それだけじゃない。
小山:
「戦場に復帰するまであと○日」っていうのも、すごく気になるつくりになっていて、上手いですよね。
やまさき:
この「戦場」って何のことになっていくのかな。
長崎:
本誌の連載(審査日当時)では、島崎が日本政府から工作員として戦ってくれと頼まれているところなんですよ。なので、その戦場のことを指しているのか、あるいは自分を育てた宿敵と戦うのか、また違う相手なのか…。
やまさき:
過去のテロ事件から、日本で起こり得ることを上手く想定して作ってありますよね。
ただ3,4巻あたりで、ヤクザとの抗争から、アクション活劇に展開していくところで、普通のアクションものみたいになってしまったのは、僕はちょっと残念に思いました。
長崎:
ヤクザのところは、僕も気になったんです。町内にそんなに普通にヤクザはいないだろうと思ってしまったので…リアリティを考えたら、ここでヤクザは出てこないんですよね。
佐藤:
ヤクザの描写がちょっと古いんですよね。外挿的というか。そこで、この作者はどうやらヤクザの世界に詳しい人ではないなと、ある意味ホッとするんですけど(笑)。
ただ、テロリズムについてのリアリティはやっぱりすごい。タアメイヤを売っている子が自爆テロを起こす時の爆弾チョッキなんて、本当にリアル。だから、そのあたりの中東事情をかなり調べてる。それでさっきも言ったけど、テロで捕らえられた人を殺して、その子供を戦闘員に育てるっていうのは、本当に、しょっちゅうあることなので。
長崎:
そうですよね。アフリカなんかでもそういう話を聞きますもんね。
佐藤:
だから今、我々はこのコミックを娯楽として楽しめるでしょう。ところが、もしかしたら10年後には、娯楽として扱えないかもしれない。現実にこういうことが起こりかねない。それくらい、世界は変になりつつある。
長崎:
うん、だからすごく怖い…面白いと同時に、すごく怖かった。
やまさき:
僕は終戦の時、4歳だったんですよ。その頃、米軍機から逃れて防空壕に潜んでいる時の、なんとも嫌な…硝煙臭い感じ。僕はこの作品で、それを感じたんですね。このきな臭さを、僕もやっと思い出したくらいで、ほとんどの人は知らないと思う。
だから、そういう本物の、半端じゃない恐怖感、きな臭い感じを続けるには、この作品、アクション活劇にしないほうがいいんじゃないかと思ったんですよね。八百屋さんやコンビニのある、ごく普通の日常の中で、彼がひとり苦戦する姿を描いていけば、新しいヒーローとして…ある意味、ゴルゴ13の新しい姿になり得るかもしれないと思った。
小山:
でも、すごい戦闘力があるんだってことは、たまには読者に見せてくれないと。
やまさき:
そう、だから「たまに」ね。
佐藤:
この、中東のテロの世界と日本の連続性というのは、実は化石のようにずっとあるんですよね。重信房子さんであるとか。西側G7で重信さんのような人がメディアに出られるのは日本だけだと思う。
これはテロリズムに対する感覚の違いで、日本以外のG7諸国だったら、絶対に表の世界には出てこれない。そのあたりの、連合赤軍の時代というものが、日本ではある程度市民権を得ているんだよね。マスメディアに出られるということは、国民がそれを許容するということだから。そういう面も含めて、この作品は結構、たとえば今70代くらいの方とか、幅広い年代の人が面白く読みそうだと思います。
…これ、戦闘シーンの描写は、なんでこんなに上手いんですかね?
長崎:
やっぱり、今のアクション映画やドラマをしっかり観ているんでしょう。動きを見てる。動きをコマで割ってるのが面白いですね。
小山:
少ないコマで、その間を想像させちゃう。すごいですよね。知識がないと描けないと思う。
佐藤:
ABCテレビ(American Broadcasting Company)の『THE BLACKLIST/ブラックリスト』とか。
長崎:
あれにも似てますけど、『ジョン・ウィック』4部作とか、あのあたりから変わった殺陣が出てきたので、そういうタイプの作品を観ているんじゃないかと思います。
佐藤:
それと、食べ物もとても美味しそうに描いてますよね。日本であまり知られていない食べ物の描写に、すごいエネルギーをかけている。
長崎:
しかもB級フード、街の屋台で売っているようなものをよく知っているんですよね。作者が海外を転々としていたか、エスニックフードをよく食べているかのどっちかでしょうね。両方かもしれないです。
佐藤:
それも中東だけじゃなく、フィリピンとかもね。なんか、海外を放浪してたんじゃないかっていう…。
長崎:
そういう雰囲気がありますよね。
『星野くん、したがって!』
長崎:
この漫画家さんと原作を組み合わせたという点で、編集者のセンスがすごくいいなと思います。ただ、好きな作品なんですけど、少し物足りなかったという感じです。どうしても原作者の方がシュールな、喜劇的な発想を持っていて、恋愛ものとして進める気はないんだな、というのが見えたので…。もっと複雑な、屈折した恋愛ものに発展してくれたら、これも対象になり得るなと思いました。
小山:
これ、楽しかったですね。山田さんが非常に強烈なキャラクターになっていると思いますし、ああ、中学生だなって感じでとても楽しかったです。ただ、やっぱり『きみの絶滅する前に』と一緒で、1巻のみというのがどうしても、ちょっとマイナスになってしまうかなと思いました。
佐藤:
とても良かったんだけど、やっぱり長崎さんのおっしゃるように、最後の1話で、大学生になった星野くんと保険の外交員になった山田さんが再会して、そこから恋愛のほうに発展するとか、またドタバタが起きるとか…。あるいは、もう少しふたりの背景のちょっとした「種明かし」がされるとか、そういう要素が欲しかったですね。
やまさき:
少年期はどうしても、女性のほうが男性より成長が早いと思うんですね。だから、こういう展開になるのはよく理解できます。ただ、非常に新鮮には思えましたけど、やはりもうひとつ、物足りなさはありました。
小山:
コミックスの最後に、原作者と漫画家の対談があるじゃないですか。あれを読んで思ったけど、コントの台本のような形で書かれた原作を、ああいうコマ割りにしたっていうのはかなり、作画の人の才能だと思うんですよねえ。
長崎:
絵も上手いし、センスもいいと思う。1巻でやめちゃったのがもったいないですね。恋愛マンガにしたら絶対に面白くなると思うんですけど。
小山:
傘のところなんて、本当に面白かった。やっぱりこれは、漫才のやりとりの感じだよね。
長崎:
よくこうも無理難題を思いつくなと(笑)。
佐藤:
告白したら晒し者にされるし(笑)。中学生くらいの女の子の残酷さがよく出てますよね。この原作の方は、原作として入っているけど、本業はコントなわけですね?
――本業は男女コンビのコント師で、コントで積み上げてきたものをこうして作品にして、さらにこれをベースにしたコントを舞台で上演する、といった試みをされているそうです。
佐藤:
それでこの後、コントをまたマンガにして…という循環に入っていくのかな。もしそうなっていったら、すごく新しい、面白いジャンルになるかもしれない。
長崎:
作画のオジロマコトさんは、『君は放課後インソムニア』というマンガをすでにヒットさせているので、こういう企画をよく引き受けたな、と思いました。この漫画家さんだからこその完成度だと思います。
小山:
表情なんかも、非常に上手いよね。
長崎:
もっと続ければよかったのにと思いますよね。
奇想天外な世界観、情報の「合理的十分性」、キャラクターの持つ役割
――ひと通り候補作についての総評をいただいたところで、ここからは2~3作品に絞って議論いただければと思います。ご意見を踏まえると、『高度に発達した医学は魔法と区別がつかない』『しょせん他人事ですから』『平和の国の島崎へ』の3作品になるかと思いますが、いかがでしょうか。
長崎:
ファンタジーには入れない人がいるということなので、最後まで残すのは『しょせん他人事ですから』『平和の国の島崎へ』の2作品になっちゃいますね。
小山:
すみません! 本当に個人的なことで…申し訳ない。
佐藤:
まあ、個別の作品について深く議論したほうがいいと思いますから。『高度に発達した~』については議論を尽くしたと思うので、あとの2作品に絞るという形でいいんじゃないでしょうか。
長崎:
ただ、『高度に発達した~』は、これは本当に、非常に斬新で優れた作品であるということは、改めて言っておきたいと思います。
小山:
やっぱり僕は、さいとう先生の『無用ノ介』とか、『あしたのジョー』で育ってきた人間なので…。でも今は、作者が世界を作って、その中でドラマを動かす、そういう作品が主流になっちゃいましたよね。
佐藤:
これ、文学賞でもそうなんですよ。たとえば私が選考委員をしている大宅壮一ノンフィクション賞で、動物をセックスのパートナーにする人たちのことを書いた作品が候補に挙がってきたんです。そういう人たちのパーティーに出席したという体験談。
(※『聖なるズー』濱野ちひろ著、集英社刊)
長崎:
それ、実話なんですか?
佐藤:
そう。びっくりしていたら、「佐藤さん、今はこういうジャンルの作品、たくさんありますよ」と。つまりノンフィクションでも、ちょっと奇想天外な題材のものが増えているんです。
小山:
発想力が豊かなんですよね、今の若い人は。僕の世代はそれが乏しいのかもしれない。
やまさき:
僕は『高度に発達した~』は楽しんで読めました。でも、『しょせん他人事ですから』は、正直、ホントに読むのが苦しかった。法律の話が出てきたところでは、もう頭がクラクラ…(笑)。
佐藤:
おっしゃる通りで、私はもともと役人で、ある意味「法律屋」だから、スッと入ってきて、学習漫画的に読んじゃったけど、作品のエンタテインメント性を考えると、ここまで細かく法律のことを入れる必要があるのか?と思います。
加害者の形だけの謝罪とか、「勝ち負けと善悪は違う」というメッセージとか、せっかく重要なことを語っているのに、細かすぎる法律の話によって、それが隠れてしまっているのが残念なんです。
それに対して『島崎』は、中東情勢にも触れているけど、その情報量が、エンタテインメントとして楽しむうえで、合理的かつ十分なんです。この「合理的十分性」というのは――かつてゴルバチョフが提唱した、過剰な武器を持つ必要はない、自国を守るのに十分な備えに抑えるという考えですが――これは、私たちがノンフィクションや小説を書く時にも重要なことなんです。知っていることを書きすぎない。盛り込みすぎない。それが「読者にわかりやすくする」ということ。そこが『島崎』は丁寧だと思う。
長崎:
だから、『他人事』と『高度に発達した~』が似ているんですよね。説明しすぎだという点で。たとえば『ゴルゴ13』の中で社会情勢を語るとしても、そのために一枠作って説明したりはしないんですよ。そういうことですよね。
それと、『他人事』のほうは、裁判の経験があると、描かれていることがよくわかるので面白いんですが、逆に言うと、一般の読者にはそこまで…そういう経験のある僕や佐藤さんほどのリアリティがないかもしれない、そこまで面白いと感じないのかもしれない、ともちょっと思ったんです。被害者の気持ちがわかる人には、よくできた作品だと思える。
佐藤:
あとは、やっぱりさっきも言っていた、女性弁護士の扱いですよね。
長崎:
そうそう。これは、ちょっとどうして出てきたのかわからないんですよね。
佐藤:
パラリーガルが本来、キャラクターとして彼女の役割は果たしているし、悪役の弁護士としては星川というキャラクターがいて、役どころは揃っているので。
長崎:
まあ、この先の展開で何か意味が出てくるのかもしれないですけど、遅いですね、仕掛けがね。
「さいとう・たかを賞」第三の表彰対象者・編集者の機能とは
佐藤:
そうすると結局、賞としては『平和の国の島崎へ』が全員、一番しっくり来ると…。たしかにヤクザのところはちょっとマイナスかもしれないけど、そのエピソードはもう終わっちゃったから、この先どう展開させるかで、十分、十二分に挽回できると思うし。
長崎:
(やまさき)十三さんがおっしゃったアクションシーンに関しては、たしかに全部カットして、建物から出てきたらみんな死んでいた、という形でもいいんじゃないかなとは、僕も思ったんです。でも、たぶんこういう動き、アクションが好きなお客さん(読者)もいるでしょう。…それにしても、今のマンガはコマが大きくなりましたよね。全体的に。
小山:
画で見せられる人はそれでいいと思うんですよ。この作品(『平和の国の島崎へ』)も、大きいなと思うけど、画で見せられちゃうからね。
佐藤:
そういうところは、たぶん高校生や大学生が読んでも面白いと思うし、一方でさっき言ったように、僕らの先輩世代、70代、80代の人が読んでも面白いと思う。
長崎:
情報の抑制がすごいですよね。情報量と枚数が、最初のほうはやや合ってないところもあるんですけど、途中から合ってきてる。だから、連載しながら成長もしているんですよ、この作品。
佐藤:
知識を全部吐き出すんじゃなくて、取材したことをどう消化して、読者にわかりやすいドラマにするかというところでは、第一読者である編集者が、機能としてとても重要になると思うんですよね。『島崎』では、入れ込みたいところは食べ物なんかに落とし込んで、詳しい情報は次の話との間のページに、小さく書いてある。深く知りたい人は読めるようにしておく、この丁寧さ。
長崎:
この幕間ページの解説は、本誌では入っていなくて、コミックスで入れていますよね。
佐藤:
それは裏返して言えば、コミックスにする時に…。
長崎:
そう、編集者が働いている。
佐藤:
それが、この「さいとう・たかを賞」の第三の表彰対象であって、賞金はないけれどもトロフィーは与えられる、編集者の機能ですよね。
その意味で、『星野くん、したがって!』と『平和の国の島崎へ』は、編集者の腕をすごく感じますよね。前者は原作と作画のマッチングという点、後者は情報の整理という点で。
ここで編集者が何を考えているかというと、読者に少しでも「伝えたい」ということ。面白く、かつ読者に「伝わる」というのはどういうことか。そういう編集者の腕と、モラルの高さを非常に強く感じました。
幅広い層の読者が楽しめるということと、原作と作画の絡みの見事さ、それから編集者の機能。この3つの点において、やはり『平和の国の島崎へ』は、優れた作品であると思います。
長崎:
日本の現在を描いているのは『しょせん他人事ですから』だけど、世界の現在を描いているのは『平和の国の島崎へ』ですね。
佐藤:
それで、この「平和の国」というのが、いつまで続くかな…。この作品が日本の近未来を描いていなければいいなと、そういう感じもあります。今の時代って「新しい戦前」だと思うんですよね。この「新しい戦前」を、「新しい戦中」にはしないように。そのあたりのテーマにも、この作品は、エンタテインメントでありながら触れてくると思う。
やまさき:
「戦場」がどこになるのか?という謎も含め、僕としては、前半で感じたスリリングな、硝煙臭さの表現が続いてほしいな…という願いも込めて、この作品が賞にふさわしいのかなと思います。
――それでは皆様の議論を踏まえ、第8回さいとう・たかを賞受賞作は『平和の国の島崎へ』とさせていただければと思います。ありがとうございました。
(了)