さいとう・たかをは、デビュー以来、永続可能なコミックの仕事を、一人の天才によるものとしてではなく、多くの才能を集結した集団のものとして、実行してまいりました。さいとう・たかをの志を受け継ぎ、分業システムにより、エンターテイメントの王道をいく作品創りにチャレンジする次代の制作者たちに光を当てるべく、創設されたのがこの賞です。
2021年9月24日、さいとう・たかをは膵臓がんのため永眠いたしました。さいとう・たかを賞は、さいとう・たかをが生前より、「後人のためにも、自分抜きでも本賞を続けて行ってほしい」という希望を持っておりました。その遺志を継いで継続いたします。
第5回さいとう・たかを賞最終選考会は、2021年11月12日に小学館にて行われました。本年度も、選考委員の許可を得て、最終選考での議論の模様を一部特別公開いたします。
●レベルの高いノミネート作品…各作品の評価
◆『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』(以下、『Shrink』)
長崎尚志氏(以下、長崎):
今回は全体的にレベルが高かったと思います。『Shrink』は非常に現代的なテーマで、よく調べていることに感心しました。おそらく、マンガとしてだけではなく、救いを求めて読んでいる人も多いのではないでしょうか。ドラマチックな部分は欠けていますが、優れている作品だと思いました。
やまさき十三氏(以下、やまさき):
僕も長崎さんと同じ意見で、ノミネート作品の質が高く、ホッとしました。『Shrink』は、僕らが普段知らない心の世界を舞台に、すごく精密にわかりやすく描いています。ドラマチックさには欠けるところがあるけれど、きちんと僕らの心に訴えたいものが伝わってきて、新しいマンガ像を築いたと評価しました。
池上遼一氏(以下、池上):
今回、全体的に意欲的な作品が多かったです。『Shrink』は、似た症状で悩む読者もおられるのではないかと、リアルな話として読ませていただきました。画描きの立場からすると、キャラクターを爽やかに描いていて、癒される読後感だと感じました。安堵感を覚える作品ですね。
佐藤優氏(以下、佐藤):
まず、さいとう先生がいない選考会というのは、プレッシャーを感じています。別の部屋から、さいとう先生が見ていらっしゃるという状況がこれまでは支えでしたので、今日も天国から見守ってくださっているのかなと思っています。
コロナ禍と関係していると思いますが、応募作品全体のクオリティが、一つの階段を登ったような上がり方をしていると思います。そして、全部真面目。要するに、ギャグの場合もテーマを真面目に扱っているんですよね。真面目だけど滑っていない。さいとう先生が意図していた持続可能な分業制での制作スタイルは、一つの技術形態として完成していると思いました。
『Shrink』は、先ほど長崎さんがお話しされたように、普段はコミックスを手にしない人も手にして、何とか「今の苦しい状況を抜け出したい」と読んだ人も多いのではないか、と感じています。読者の範囲を広げましたよね。
内容もよく勉強しています。いまの精神科の世界は、私達ぐらいの世代と20〜30代の精神科医って全然違うんです。今の精神科医は「心の病気」とは言わず、「脳」の問題だと捉えています。そのバランスが作中で良くとれています。例えば、パーソナリティ障害、自閉症スペクトラムは、「脳」に寄せて考える。他方、双極性障害やうつの場合には「心」に寄せて考えていますね。
また、精神科という名称にハードルの高さを感じて心療内科に行く人は私の周りで多いのですが、かなり依存性の高い薬を出されてしまうこともあります。薬物依存で一番多いのが、覚醒剤。次が、処方薬なんですよね。
長崎:
作中にも出ていましたね。
佐藤:
はい。精神科の範疇の病気を知らない人たちが、依存性の高い薬を処方してしまい、薬物依存の問題は深刻になっている。そうしたことを丹念に取材されて、一つの学説に偏らずに、一つひとつのケースごとに考えて、納得がいくものを描いているのではないかと。かつ理屈っぽくならない良い作品だと思いました。そして、主人公も決して聖人君子のような人ではない。そこも含めて良かったです。
◆『前科者』
長崎:
正直に言うと、個人的は苦手なタイプの作品です。しかし、日常を極めて丹念に描いていて、会話がとても自然。そうした意味では「上手さ」がこの作品にはあると思いました。そして、このテーマに光を当てたこと自体が画期的ですので、高く評価をつけました。
やまさき:
タイトルには少し怯んでしまうのですが、読んでいくとライターと作画家が描いたドラマが、丹念に織り込まれて、自然と物語に引き込まれていく。その手法はすごいなと思いました。そして、佳代とみどりの今後の関係は、前科者とどうやって生きていくのかを描くときに、絶妙なコンビだなと思いました。
池上:
みどりの存在が、読んでいて一番いいなと感じます。文学が好きだったり、色々な背景が出てきたりして面白いなと。言葉のやりとりは非常にデリケートな問題が出てきますが、思いつかないくらい、人の心の変化といいますか、奥深いところからにじみ出てくる言葉に不意をつかれ、考えさせられましたね。
絵は非常に地味ではありますが、この脚本には合っているのではないかと。落ち着きがあり、主人公のキャラとしての性格も、この絵でないとできないというリアリティがありました。じっくりと読ませる作品です。
佐藤:
私は3巻までだったら受賞作に推すのですが、みどりがものすごく成長しているでしょう。他方、佳代は完成していて、変わらないんですよね。父親との関係においても、恋愛の関係においても、両方とも固定されていると思ってしまって。その関係が動かないので、話が4巻目以降は冗長に感じてしまいました。みどりが動くだけに、佳代は変わっていかないし、父親に対しても心を開かない。父と祖父の間に何があったのかということも、そこを示唆する内容が欲しかった。いろいろな足りないところが見えてきました。
みどりの存在が自然と大きくなっていったのが、構成としてどうなんだろうかと思いました。でもいい作品だと思います。
◆『ハーラーダービー』
長崎:
最初、あまりにも唐突なので「なんじゃこりゃ」と思っていたのですが、一つの壮大なギャグマンガだと思って読むと、一試合一試合これほどしつこく描くことが逆に見事だと思い、評価を高くしました。森高さんはストーリーに関しても上手な方ですが、水上さんの荒っぽい絵の魅力をうまく引き出している。これだけのテーマで、この完成度はすごいですね。はっきりと言えば「上手い」という印象を受けました。
やまさき:
「流れを自分たちで作る」というピッチャーとキャッチャーのアイディアは、アイディア自体が成立するかどうかにかかっていたと思いますが、見事でした。統計学も使っていて読者に理解できる形で展開しているなと。野球シーンの書き込みも、作画家は非常に上手いと思いました。
少し引っかかったのは、実験はデータがないということなんですよね。データを大事にしながら、データは全くないところが面白いところかもしれないけれども。よく考えると、これだけのピッチャーが目指す先は9回完封となるとわかりやすい。今後、どう展開していくのかが課題として残っていくと思います。
池上:
僕は最初、絵柄に昭和のエネルギーみたいなものを感じました。最初は古臭い絵だと思いましたが、試合の連続で見せるこの脚本をギャグ的な展開で物語を進めているので、この絵じゃないと考えられないなと画描きとして思いました。
この作品はネーム原作の脚本らしいから、やはりネームの段階でいろいろなギャグを入れたり、コマ割りまできっちりされているのかな。絵描きはそれを受け取って、うまく遊んでいるなという感じがして、読んでいて違和感なく楽しめました。
僕は野球に詳しくないので、わからない部分もありましたが、読んでいて結構笑えて。脚本の力技っていうんですかね。野球を知らない者でも楽しめるように描かれています。
佐藤:
僕は政治家やビジネスマンに一番おすすめしたいなと思いました。というのは外交の世界でも、理論武装完璧にしていて、相手をやっつける能力が高い場合は交渉をまとめられないんですよ。少し相手に譲るような形で進めると、結果としてプラスになる。実は、熟練した外交官は計算しています。
僕は野球少年ではなかっただけに、野球の世界に囚われるのではなく、外交や政治の世界の構図そのものを映していると思いました。そうやって読んでも面白い作品だなと。作者は政治のことがわかる人だと思いました。また試合が毎回続く展開でも、飽きさせずに読ませていく作品ですね。
池上:
読んでいるうちに楽しくなりますね。
長崎:
昔風の絵なので、僕は読みやすいですね。
池上:
遊んでいるなって感じがしてね。気軽に読める。佐藤先生がおっしゃるような読み方は、なるほどと思いました。
佐藤:
マンガの面白さは自由に読むことを許してくれることもありますよ。だから私みたいに異質な人間を、さいとう先生が選考会に入れてくださったと思うんです。
◆『BORDER66』
長崎:
非常に今日的なテーマで、真面目な作品なんですよ。集英社独特の青年誌のコマ割りの特徴なのか、私には少し読みづらく感じました。
しかも話があっちこっちに行き過ぎているんです。『海猿』の原案の方が原作なので、海上自衛隊の話にもっていきたいようなんだけど、やっぱり描くべきは地球温暖化だという、描くテーマの引っ張り合いがあるのではないかなと思いました。家族ものなのか、兄弟ものなのか、地球変動ものなのか、それとも海上自衛隊の話をしたいのかがちょっと分散しちゃっているところが、理解しづらかったです。非常に良い作品で、テーマも立派なのですが。
やまさき:
そうですね。地球を救うことと、災害を救うことという大テーマで、その意気込みはすごいと思います。災害救助のシーンをすごくリアルに描いていたのですが、僕は最初の設定で、博士がなぜ娘を南極に連れて行ったのかが、ずっと引っかかってしまって駄目でしたね。
池上:
僕も読み始めたときは、絵にも臨場感があって、ハリウッド映画を見ているような雰囲気で、素晴らしいと思って読み出しましたが、途中から純粋すぎるキャラクターが気になりました。人間の弱さやそれぞれの性格があまり出ていないなと。いろいろな登場人物が出てきますが、たとえば主人公と対立するようなキャラクターにあまり個性がないんですよね。主人公の使命感は理解できるのですが目が綺麗すぎちゃったりして…。妹も「私は絶対正しいんだ」という目をしているから、とっつきにくい。画描きとしてわかるのですが、あんまり正義感面したキャラが正しいことを言いすぎると魅力がなくなってしまいますね。
佐藤:
デジタルデータで横にスライドして流して見ていくと、流れがとてもよくわかる作品です。セリフをできるだけ飛ばして読むと、3分くらいで1巻の流れがわかる。パワーポイントに似ていると思います。20代から30代の人たちの、今の心に入ってきやすい世界を見事に描いているなと。
ある意味、集英社の新書で第ベストセラーになった斎藤幸平(東京大学准教授)の『人新世の「資本論」』のコミックス版ですよね。『人新世の「資本論」』の中で、地球環境問題、温暖化を今止めないと大変だ、ヨーロッパではもう始まっているのだと。若い人たちの今の危機意識を反映しているというのがこの作品の強さじゃないかなと。
残りの4作とは違う世界の人たちが読むのかなと。特にZ世代と言われている、今後は会社も続かないだろうし環境問題が自分自身に関わってくると思っている人たちにとって、すごくリアリティがあるのだろうと思いました。
◆『満州アヘンスクワッド』
長崎:
個人的には一番好きな作品です。ノミネート作品の中で一番ドラマチックですね。さいとう先生を引っ張ってきた、ビッグコミックを創刊した小西さんはこういう作品が好きでした。小西さんはこういうマンガが読みたくて、ビッグコミックを作ったのではないかと勝手に思っています。
そういう意味では、青年誌の「起こり」からずっとある「こんな作品を読んでみたい」という思いに合致した作品でした。この残酷さと、基本的に悪の世界の話なので、好き嫌いは分かれると思います。それを前提としたうえでも、この複雑な内容・時代をきちんと取材して抜群の構成力で描いている。読者になかなか受け入れられづらいだろうということも、あえて勝負していると思い感心しました。一番強く推しています。
やまさき:
満州を舞台にしたアクション作品で、アヘンを使っているのは気になる部分ですが、きちんと丁寧に描かれて、そこは抵抗なく話に入れました。一部、乱暴だったり安易に感じるシナリオを、画力がうまく補っていたと思いました。つい読んでしまう作品ですね。迫力はありますが、手法としての新しさはあまりなく、安易な部分もあるなと感じました。
池上:
僕もやまさき先生と同じことも感じましたが、あの緊張感を切らさないストーリー展開に圧倒されました。毎回、引きが強くて怖いぐらい。仕事をしながら3日ぐらいかけて時間を見つけては読み進めましたが、次がどうなるのかが楽しみで仕方ありませんでした。これが本来の「マンガ」ではないかと感じました。少し安易な部分もありましたが、画の力で補った作品だと思います。あまり歴史に詳しくない僕でも、リアリティを感じました。さいとう賞としてはトップ評価ではないでしょうか。
佐藤:
絵に迫力があり、ストーリーも決して破綻をしておらず、よく調べられていると思いました。個人的に不満なのは、残虐シーンが多すぎて怖くないという点です。もう少し残虐シーンを絞り込むとさらに怖くなるのではないかと。ただ、リアリズムすぎてしまうのもどうかなと思いますし、娯楽としてはこの形が一番いいのかなと思いました。
ロシア人や中国人が怖く描かれているのは、コロナ禍の2年間で内向きになっていることも関係しているのかなと。コロナは強く影響を与えていると感じます。
やまさき:
戦後にいい文学が生まれたことに似ているのかもしれませんね。
佐藤:
満州国が、作品の舞台としてロマンある場所として選ばれているのも時代の変化を感じます。
長崎:
そうですね。以前は但し書きをつけなければいけませんでした。描こうとすると編集者も飛んできましたよね。
佐藤:
歴史上の人物と完全には重ねないというのも上手いですね。
●リアリティ寄りか、エンターテインメント寄りか
池上:
『前科者』や『Shrink』のような突き詰めたリアリティを求めているものと、はったりやごまかしもあるエンターテイメントの作品は、比べ方が違いますよね。『前科者』の場合は法務省の世界を調べないと描けませんからね。『前科者』は佐藤先生がおっしゃったように、恋愛がちょっと不自然に感じましたね。急に頭が悪そうに見えてしまった。
佐藤:
異性に対して適切な距離感が持てないという、ちょっと病的な子。そういう雰囲気がありますよね。
池上:
『前科者』の台詞のやりとりは独特で上手いなと思います。実際に取材をしないと出てこない台詞じゃないかなと。
長崎:
シナリオライターが映像やテレビの人だからか、細かく描かれていますよね。
池上:
この中から1作を選ぶのは難しいですね。
佐藤:
今年は特に難しいです。
長崎:
僕は正直にいうと、『Shrink』『満州アヘンスクワッド』『前科者』のうち、誰かが「これだ」と言ったら、もうそれに従おうかと。『ハーラーダービー』もよくできているけれど、さいとう・たかを賞となると、方向性は少し違うのかなと思います。
池上:
今回はテーマが深刻な作品が多いじゃないですか。『ハーラーダービー』は、深読みすれば政治的で示唆的なこともあるんだろうけど、一番楽しく読めましたね。
長崎:
そうですね。プロの作品ですね。
池上:
マンガって本来はこうあるべきなのかと。
長崎:
昔の少年誌がそのまま青年誌に上がったみたいな。好きな作品なんですけどね。
佐藤:
『前科者』と『Shrink』は、良い子のものですよね。『満州』は子供にはちょっと…とすると、さいとう・たかを賞はぞっとするようなものの方がいいのかな。
池上:
さいとう先生が生前、「今のマンガは男と女の出会いばっかりで、スケールのでかい作品がほしい」とおっしゃっていましたね。そう考えると『満州アヘンスクワッド』が賞に合っているように思いました。
やまさき:
ハリウッド映画を見ているような感じで。映画化したら金がかかるだろうね。
池上:
佐藤先生が、残酷なシーンの連続で怖くないっておっしゃっていましたけど、僕はもう毎回、身震いするくらいの怖さを感じましたね。「助かるな」って思ったらまた次の危機が迫るという引きの連続でしょう。このテクニックはやっぱすごいなあと思います。
やまさき:
新しい世界を描いたっていうことで、僕にとって新鮮だったのは『Shrink』です。
池上:
読んでいて爽やかな雰囲気があります。
長崎:
読ませるのが上手いですよね。
佐藤:
『前科者』は既に、有村架純さんが主演でドラマ化されるっていうことです。『Shrink』もいずれドラマ化に繋がると思います。なので、その意味では『Shrink』は高い評価が保証されているように思います。
池上:
確かに『Shrink』は読んでいてテレビドラマ化するだろうなと感じました。
長崎:
それぞれ2作品ずつ作品を推して進めましょうか。
やまさき:
僕は『Shrink』と「前科者』の2作品ですね。
長崎:
僕は『Shrink』と『満州アヘンスクワッド』です。
池上:
内容的には『前科者』がよかったと思います。さいとう賞として考えると、やっぱり僕は『満州アヘンスクワッド』かな。あともう1本は、『Shrink』も良いのですが、もう一度、昭和のマンガの面白さに今の新たな演出が加わった『ハーラーダービー』を推します。
佐藤:
僕は『満州アヘンスクワッド』と『Shrink』です。先程は『Shrink』が1位、『満州アヘンスクワッド』が2位でしたが、『満州アヘンスクワッド』『Shrink』の順にします。さいとう先生は、「さいとう・たかを賞は、自分の作風から完全に自由であれ」と話されていましたが、その方向性なのかなと。
もう一つは、『Shrink』も『前科者』も内向きすぎるんですよね。もっと外を見た作品。その意味では『満州アヘンスクワッド』が面白いんじゃないかなと思いました。
長崎:
ただ、さいとう先生は突然、「こういう人情ものが私は好きなんだ」っていうじゃないですか。いきなり『Shrink』だって言いそうな気もする。
池上:
今は『Shrink』のような画風とか、そういう世界って青年誌で多いんじゃないですか。爽やかな絵柄というか。
長崎:
少女マンガのようですよね。
池上:
小さいスケールで、1人ひとりの悩みを描いたり。
長崎:
それはあると思います。
佐藤:
青年誌の連載ですが、女性も買っていそうな感じがしますね。
池上:
今まであまり手をつけなかった世界ではありますね。
長崎:
心療内科ものはありましたけど、ここまできちんとしたものではなかったですよね。昔は病名を出すのもちょっと気にしていたんです。
池上:
『Shrink』で面白いと思うのは、キャラクターが立っていることですね。キャラクターの描き方が良い。
やまさき:
では、特に票の集まった『満州アヘンスクワッド』か『Shrink」で進めていきましょう。
●『満州アヘンスクワッド』、『Shrink』で揺れる最終選考
池上:
先ほどは『満州アヘンスクワッド』を推したけど、やっぱり『Shrink』にしようかな。『満州アヘンスクワッド』は新しいとは言えないので、『Shrink』のほうが難しいテーマを爽やかに描いている。読んでいて「実は俺もそうなんだよな」みたいな人も結構おられるんじゃないか。そのリアリティを最後に包み込むように、先生のキャラクターによってほっとさせる安堵感のある終わり方、好感が持てますね。
長崎:
僕はやっぱり『満州アヘンスクワッド』が一番で、『Shrink』がその次。ただ『Shrink』が受賞作でもいいんじゃないかなと思っています。
池上:
『満州アヘンスクワッド』はテクニックがすごいですよね。
長崎:
読んでいてどちらが面白いかっていうと、個人的には『満州アヘンスクワッド』。個人的な趣味なのですが。
佐藤:
『Shrink』は絶対にドラマ化されるでしょうし、どこかの賞も確実だと思うんです。そう考えると、『満州アヘンスクワッド』をエンカレッジしたい。作品の水準、構成は、2作品のカテゴリーが違うから、同じ土俵にのせられないですね。
やまさき:
評価基準が難しいですよね。
佐藤:
最終的には好き嫌いでもいいと思うし、あるいはいずれ広いメディアで評価が約束されているものより、そうじゃない方に与えた方がいいという、私みたいな発想になるのかもしれない。
長崎:
僕の個人的な意見ですが、『Shrink』はシナリオの力が強く、『満州アヘンスクワッド』は作画の力が強いと思います。『満州アヘンスクワッド』は、画描きさんが結構残酷なシーン好きなんじゃないですか。興味持って描いている気がしますね。
池上:
僕も関心しました。何ていうか、アヘンに溺れているあの演出。
佐藤:
どちらか言うと、ホラーっぽいですよね。
池上:
青幇の娘の女性が1人でエロチックな雰囲気を醸し出していて、上手い絵だなと思いますね。お色気も暴力もあり、エンターテイメントをしていますよね。
やまさき:
うん。そういうところは『満州アヘンスクワッド』だけど、新しいフィールドでいうと、『Shrink』なんですよね。
池上:
新しい部分がどこかって言われると、今までやってきたことをさらに突き詰めていく事。そう考えると『Shrink』ですかね。
やまさき:
異質なものをどういう基準で選ぶかっていう。
池上:
純文学と大衆文学みたいなね。
やまさき:
今、マンガも漫画家だけでは知識が足らずに、専門家の力を借りないとできない世界になってきていますね。
長崎:
ノミネート作品を読むと、どれも明らかに機能していますよね。1人だとなかなか難しいでしょう。
佐藤:
あとは編集者の機能ですよね。
池上:
いろいろな専門家を取材して、それを削除したり物語としてうまく使うのも原作の、脚本家の力ですからね。
佐藤:
その能力が非常に高いと思いますよ。新聞記者は文章がダメだなと思うことが多いんですよ。新聞社は、重要なことをまずは書く。だから新聞記者の書いている文章は、最初の章を読むだけで、重要なことでわかるんですよね。だから、伏線をおいたりするのが苦手になる。雑誌の記者はうまいんですよね。だから、こういう構成っていうのを通信社の記者を長いことしているとなかなか作れないですよね。
やまさき:
『Shrink』が掲載されている「グランドジャンプ」のコラムを担当していて、雑誌もずっと読んでいるんだけど気づかなかった。今回読んで初めて面白いと思った。
長崎:
雑誌の代表的な作品ではないけれど、編集部が評価したんじゃないですか。読んでくれれば面白いって。
やまさき:
珍しいよね。「グランドジャンプ」でこう言う作品が載っているのは知らなかったです。
池上:
女性も魅力ありますよね。助手ではないもう一人の子も素敵です。
長崎:
両方とも来年も賞の権利があるんですよね。
やまさき:
選ぶ基準をもう一度、どうするかと。エンタメなら満州だし。
佐藤:
これはもうそれぞれの趣味でいいんじゃないですか。
池上:
新しさって言うのもあるよね。
(再び投票を集めたところ、池上・長崎が『満州アヘンスクワッド』、やまさき・佐藤が『Shrink』と、票が割れた)
長崎:
今までのさいとう先生の賞だと、『満州アヘンスクワッド』になるのかな。応募作のジャンルが偏っちゃうかもしれないって言う怖さもあります。そうすると、こういう作品も選ぶんだという感じにはなるような気もするんです。
池上:
じゃあ僕も『Shrink』にしようかな。
佐藤:
僕が最終的に『Shrink』に投票したのは、コロナを加味してみようかなと。コロナ禍で心を病んでいる人はとても増えてきているわけで。その時代をどうおさえているのか。『満州アヘンスクワッド』はあの殺し屋がきっと1年くらいで出てくるでしょうから、それで見事な回収になっていたら、文句なしに来年に…。
長崎:
確かに『Shrink』だと、まだ世に広くは知られていない作品が受賞したことになるなと。賞の未来を考えると良いと思います。
池上:
佐藤先生がおっしゃったように、時代を描いていますよね。
長崎:
出来がいいですよね。
池上:
この作品が受賞となると、新鮮な感じがしますね。
佐藤:
実際にこの本で救われたと言う人も多いと思います。
(受賞作品は『Shrink』に決定)
●第5回さいとう・たかを賞 最終選考会を振り返って
長崎:
今回は本当にレベルが高く、どれにしようか、悩みました。繰り返しになりますが、自分としては『Shrink』と『満州アヘンスクワッド』と『前科者』の、どれかを誰かが推したらそれで文句を言うつもりはなくて。個人的には『満州』を推していましたが、今の時代って考えたときに『Shrink』になったのは、妥当なところだと思うし、さいとう・たかを賞自体を広げる意味でも、いいことだったと考えています。
やまさき:
『Shrink』になってよかったと思います。今回、ノミネートの作品は、さいとう先生というお名前があるからこそ集められたんだろうと改めて思ってます。本当にレベルの高い作品ばかりで、いい最終選考会になりました。そういった意味で良かったなと。これからも、続けていかれるということで、それもまた素晴らしいことだなと思っております。
池上:
僕もやまさき先生がおっしゃったことと変わらないんですけど、やはり毎年、世の中は常に変わっていきますから、その時代を捉えたものが基準になっていくと考えています。そう考えると先ほどおっしゃったように、『Shrink』が受賞作になると思います。
佐藤:
今までの中で一番難しく、良い意味で大変な選考会でした。惜しくも受賞に至らなかった作品を次回に推したいと思うんですが、永田町でよく言うのですが、今度とお化けは出そうで出ないと。今度にしようと思ったらなかなかうまくいかない。
あと、率直に申し上げて、選考会の在り方自体が非常に良い。と言うのもノンフィクションの選考会だと、読んでないとか、あるいは特定の筋の作品を推すとか、必ずそういう人っているんですよ。変な意味での疲れちゃうわけです。毎回思うのは、議論をして賞の趣旨に立ち返って選考基準をどうすべきかを再度議論し収斂していく、気持ちが良い形で一作品になるのが、さいとう先生の名前を冠している賞と言うことと関係しているのではないでしょうか。マンガの世界は、オープンに競争原理が働いているところだなと改めて思いました。
執筆:松尾奈々絵
編集:山内康裕