さいとう・たかを賞 選考委員インタビュー やまさき十三委員
第1回さいとう・たかを賞から最終選考会選考委員を務めていただき、ご自身も『釣りバカ日誌』の原作を手掛けるマンガ原作者のやまさき十三委員に、賞の意義や脚本家の心得をお聞きしました。
――さいとう・たかを賞最終選考会の議論の場はどういったものなのでしょうか
最初に選評がありますが、皆さんの評価が一致するときと一致しないときとあります。A・B・C評価を個々人でしたうえで、まずは大雑把に意見を聞いて、それで個別作品の評価検討に入っていきます。言いたいことは言った上で、最後は全員で一作品に絞っていくというのは、いい意味でちゃんと選考しているなと思います。
ちゃんと選考できているのは、さいとう先生の存在が大きいと思います。基本は、さいとう先生がおっしゃっていたマンガっていうのは、三者の共同作業だということ。雑誌媒体を出しているそこの窓口である編集者、さいとう先生はプロデューサーと呼んでいます。そして作画家と脚本家です。共同作業でのマンガ制作現場で、新しい人たちや作品をどう発掘するのかという視点で一致しているので、それに見合ったいい作品を選考できている気がします。
――さいとう・たかを賞ならではの、選考の視点はありますか?
作品も幅広く応募なされていて、最終的に毎年幅広く視点で選べているなと思います。いろいろな選考委員の意見があって、それが違うのもまた当然のことで、議論の末に集約して受賞作がきまるという意味では、いい形で選考しているなと思います。
自分としては、新人がどうやってここから育っていくのか、受賞という形で少しでもアシストできればと思っています。才能のない人を間違って選出してもそれはいいと思います。やっちゃいけないのは、才能がある人を落とすことです。心がけて、落としたらいけないなって思っています。
最終的には自分の嗜好で選ぶので、自分の好みが入るんですけどでも、そればかりじゃいけないなっていうのが「落としてはいけない」ということ。輪を広げて。合議制で決めるのが、選考のいいところだと思うんだよね。
――やまさき先生はどちらかというと作品全体のところを見ていらっしゃるのですね
1人の漫画家だとやっぱりその人の好みの分野であったり、知っている情報のジャンルやなどを描きがちだけど、シナリオライターがいることで世界が違うほど面白くなるんじゃないかと思います。さいとう・たかを賞の狙いもそこにあるわけです。
いろいろなジャンルの人たちが、入ってくるのも当然です。いろいろな、例えば職人の世界もいろいろな人が関わることで広がる。マンガでも同じことだと思います。それこそSFから冒険小説から現代小説、AIの世界とかね。
――コロナ禍の作品制作で思うことはありますか
コロナっていう、辛いテーマを描くとき、リアリティを出すには否応なく人物がマスクをさせるわけですよね。これから作っていく人は、まずそこが一つ負担になっていくし、逆に言えば、そういうリアルの世界を描くよりも、違う時代、過去、空想の世界、未来、ファンタジーの世界が設定になることが、多くなるような気がするんですね。でもね、コロナは向き合わざるを得ない課題だなと思って、そこのリアルを描くんですよ。
――コロナ禍によってマンガの読まれ方も大きく変わっていきそうですね
そうですね。やっぱマンガってページを見開きで読むのが基本だと思うんだけど、コロナを契機に電子書籍がますます普及していきそうですから。そういうものでしょうけど、僕なんかはやっぱり手で取って開くってのが好きなんですよね。電子書籍に全部行ってしまったら寂しいですね。
僕の時代はね、少なくとも40代50代までは、電車の中は夕方みんな、ジャンプか夕刊フジ、コミックスを広げてたんですけど。今は皆さんスマートフォンですもんね。僕自身も情報を知るのが気軽にできるし辞書替わりに重宝しているのでそれはありがたいですが、今の若い世代とは使い方が違いますね。
――分業制でマンガを作るとき、何が大切ですか
編集者の力が大きいところですね。作画家と脚本家は、極端に言うと思考が反対であったりするかもしれない。むしろその方が面白い作品が生まれる可能性あると思うんですけども。でも基本は、作っていこうとするものが同じ方向を向いていて、原作には作画家に描く意欲をもたらすものがないといけない。原作者としては、作画家がアンカーだと思ってるいるから、好きに料理してほしいという感じがありますね。だからこそ作画家がいるんだと思います。一方で、こうしてほしい言う原作者っていうのは作画家と対立していて、でも結果的にそれがいい効果を生む場合もあると思うんですよね。
『あしたのジョー』のラストは、ちば先生がこれはこの終わり方は…ということで、自分で描いたとおっしゃってましたから。それは、そういうこともあって。いい方向に喧嘩するのはそれでいいと思います。
当然、原作としては一つの明らかなものを具体的に出してるわけですから、そこから外れるのではなく、その上でそれをどう具象化していくのかは、作画家仕事の範囲だと思っています。作画家が自由にやった方が、僕はいいと思う。
――分業制作で生まれるマンガの魅力を教えてください。
原作と作画が別個の人間であることによって表現できる世界が広がります。多分、同じ素材を作画家がいきなり描いた場合と、原作が脚本として上がってきたものを描いた場合とでは、やっぱり違う作品なると思うんですよね。脚本の描き手が違う人間であれば、いろんな世界が表現できると思います。コンビを組むのもよいですが、やっぱりいろいろな脚本家がいて、作品に応じて組めるというのは、作画家も助かると思います。
脚本も書いてるうちに、キャラクターを具体的に見ることによって、また触発されるってことがあるんですよね。
「キャラクター動き出した」っていう言葉をよく言いますが。こいつならこれこういう言い方をするだろうとか、こういう食べ方をするだとだろうとか、僕も実際にあります。素材をきちんと捉えれば、語り出すっていうこともあるんですよね。主人公が動き出すっていうか、この場合は普通は怒るけど、こいつなら笑うよな、とか。
『釣りバカ日誌』の場合、セリフまで出てくるんですよね。連載を重ねていくことで、どんどんキャッチボールができてくる。
――やまさきさんは元々映画業界にいらっしゃって、そこからマンガの世界に入られて、マンガの原作と映画の脚本の違いは大きいですか
書き方はほとんど僕の中では変わらなかったですね。ただ、マンガの方がテンポが早い。映画は起承転結が流れ強いのですが、それはまどろっこしいと(笑)。マンガはもっと省略的ですね。例えばマンガだったら、時間の流れを極端にするために「何年経って」とつけたりします。
――さいとう・たかを賞に応募される方に期待するところを教えてください
受賞作はどれも初めて見る世界というか、鮮度がすごくありますよね。コロナの難題をクリアした上で、やっぱり鮮度の良い作品、こんな世界があったんだっていう作品を期待しています。素材は古くても新しくてもいいんだけど、その見方とか、表現が、「こんな表現があったんだ」というような、鮮度がいい新しい表現に出会いたい。そういう作品に出会える可能性がすごくある賞だと思うんですよね。
さいとう先生もおっしゃっているように、マンガは基本エンターテイメントだと思います。さいとう先生は最高のエンターテイメントを半世紀以上続けていらっしゃった、それに続く新しい作品が登場することを願っています。プロデューサーとしての編集者、それから作画家と、脚本家の共同作業に与える賞である意味は大きいと思います。いろいろな可能性を持った作品と出会えることを楽しみにしています。
インタビュー・執筆:松尾奈々絵
編集:山内康裕