さいとう・たかを賞 選考委員インタビュー 長崎尚志委員

さいとう・たかを賞 選考委員インタビュー 長崎尚志委員

 

第1回さいとう・たかを賞をシナリオライターとして受賞し、第2回さいとう・たかを賞より最終選考会選考委員を務める長崎尚志委員に、原作者の目線、そして編集者から原作になられたご経験を踏まえて、お話を伺いました。

 

 

――さいとう・たかを賞の最終選考会において、どういった点を重要視して評価なされているのか、お伺いできればと思います

 

単純に僕が読んで面白い作品かどうかを重要視しています。劇画は、構成がうまくないと面白くないものなので、面白いということは構成が良いということです。構成が面白いものを中心に選んでいます。やはり読みやすいものは構成が上手い作品なんですよ。
構成というのはプロセス、+コマ割りです。飽きるコマ割りやわかりにくいコマ割りもそうですが、こんな長くこのシーンのコマを割って描く必要はないでしょう、っていうことがありますね。もちろん構成が下手でも面白いもあり悩むところなんですけど……。

 

 

――長崎さんはどのように作画家と組まれるのでしょうか

 

編集部から指名された人と組むだけです。けど、一緒にやっていてストレスが溜まらない人と、溜まる人がいますね。自分が描いた構成と合わないとか、人物たちの表情が自分の思ったものと違ったりとか、そういう方とは溜まりがちです。ただ、自分の思った表情では描いていないのに、こんな表情もあるんだなと思うときもあるので、そのときは通しちゃいます。作画家の発想がそれはそれで面白いかなと思うときですね。

 

 

――第1回さいとう・たかを賞受賞作の『アブラカダブラ〜猟奇犯罪特捜室〜』で組まれた芳崎せいむさんは組みがいのある人とおっしゃられているのが印象的だったのですが、どようような意味合いでしょうか(※審査員に就く前にリチャード・ウー名義で同作品にて受賞)

 

こちらの意見に耳を傾けてくれる人と組めるとは組みがいがあります。耳を傾けてくれるのは謙虚な方なんですよ。芳崎さんは頑固だけど謙虚な方で、こちらが提案すると第3のものを持ってくる場合もあれば、こちらの提案を受ける場合もあって。そういうやりがいですね。『アブラカダブラ〜猟奇犯罪特捜室〜』はビッグコミックの編集者から話があってスタートしましたが、できるジャンルとできないジャンル、そしてタイミングがあるんですよ。例えば一本サスペンスを書いているときに、もう別のもう一本は書きたくないんです。
ジャンルの指定は編集者によりますよね。すごく言ってくる人と、何も言ってこない人といて。好きに書いてくださいというのが一番困りますね。好きに書いているんじゃないから。編集者もタイプも違うし能力差もありますから、人によります。

 

 

――さいとう・たかを賞自体に期待するところをお教えください

 

原作付きマンガは増えてきましたが、原作者だけで食べられている人はそんなに多くないんですよ。原作付きマンガは、単行本の印税も半々だったりするし。編集部からしても原稿料も倍近く払わなきゃいけないので、なかなか編集部も企画したくないんです。でもかつて圧倒的に面白い原作付き作品が存在したから成立しているんです。今後もっと増えていくかは何とも言えませんが、増えていってほしいと思いはありますよね。
それとリサーチが必要な作品は、漫画家だけじゃ調べ切れないところがあり、原作者がいてリサーチしたから良い脚本が作れる、漫画家だけじゃできないものっていっぱいあるので。原作の必要性を、さいとう・たかを賞は世に問うてくれているので感謝しています。

 

 

――分業制で作品を作る難しさについて教えてください

 

ものすごく難しいですよ。やっぱり作画家とか担当編集と合わないと熱が冷めますしね。
僕のシナリオに、どのくらい同感できるかって、すぐにはわからないじゃないですか。頭の良し悪しではなくて感性です。「ない」人はない。ないっていうのは、その人の引き出しに残念ながらないっていうようなことです。
例えば、「悪人」が描けない作画家さんっているんですよ。悪意が描けない人って、人物が悪意を持つと全部嫌な顔になってしまうんです。「悪意」という引き出しを持っていないからなんですよ。僕は悪意を持っているから、笑いながら言う悪意も無表情な悪意も引き出しにある。それを共有している作画家だと、こちらは指定しなくてもそう描いてくれるんですよ。持っていない作画家は「この人は悪い人ですよ」って最初から悪い人の顔を描いてきます。僕と感覚的な悪意とか、善意とかが合わない人ということですね。

編集者だと、あまりに仕切ろうとする人は苦手かな。相手の顔色を見ちゃうというか、何が面白いかわからなくなっちゃうからです。実力のある編集の人だとそれがない。要求が明確ですし、こちらの性格を理解してくれるので。

 

 

――編集者の役割もお伺いできて、さいとう・たかを賞が編集者も受賞者にしていることの意義を改めて感じました

 

さいとう先生が、担当編集者を表彰台に上げること考えられたことは、すごくうれしく思っています。ただ希望を言うと、初代の担当者を表彰すべきだと思うんです。2代目から面白くなる場合もあるんですけれど、優秀な初代編集者がうまく作っちゃったら、2代目はほとんど何もしないです。何もしない方が当たりますから、何もしないのも能力なんです。でも、そうするとやっぱり初代担当が一番すごいってことじゃないですか。本来は編集者の誰がこの作品に貢献していますかと作家2人に聞くのが一番正しいと思いますね。

分業制の面白さは、漫画家が興味はあるけれど描けないものを脚本家が書いて、その方向性を冷静な視点から編集者が決めるという3人の意見が入ることです。3人だと1人多いじゃないですか。それが編集者の役割だと思うんです。原作者とか脚本家という人は、その作品に埋没してものを調べるけど、その間に世間がどうなっているかは編集者が見ていなければなけないし、世間の流行がどうなっているのかも編集者がアンテナを張ってなければならない。
いいチームを作るには、やっぱり編集者の力が重要です。編集者はプロデューサーなんだから。当然、作画家と脚本家を会わせない方がいいと思えば自分が間に立つし、直接会わせた方がうまくいくなら会わせる。全部編集者が決めることです。

 

 

――今後のさいとう・たかを賞に期待することはありますか

 

僕らがマンガ業界に入った1980年代から90年代にかけては、マンガがマイナーで、逆にそんなに苦労しないで売れたんですよ。それからマンガというジャンルがメジャーになってきて、マンガ編集者をやりたいって人が増えてきた。結果、テレビとか映画とかと同じ立ち地位になってしまったんですよ。昔は地位の低い変なものということで売れていたんですけど、同じメジャーなものになっちゃうと、努力しないと競争に負けてマンガ自体の存亡の危機になってしまいます。その一つの突破口として、原作者が脚本を書くマンガとか、原案付きマンガとか、つまり編集者が頑張ることが必要になってくる。マンガ業界の繁栄を続けるためにも必要な賞だと思っています。
天才漫画家がいて、天才編集者と組むのもいいけど、いい編集者といい脚本家といい漫画家が組むというやり方もある。その可能性の一つを明確に提示している賞なんです。こういうやり方があるっていう……。とてつもない才能じゃなくてもすごいもの作る可能性は、このさいとう・たかを賞にあるんです。マンガ・劇画業界の未来を託せる賞だと思っています。

 

 

 

インタビュー:松尾奈々絵
編集:山内康裕