設定の魅力を惹き出し、かっこいい男を描く――『イサック』荒井均さん【さいとう・たかを賞受賞者インタビュー】
2018年第2回さいとう・たかを賞は、17世紀の神聖ローマ帝国を舞台に、仇討ちのために傭兵として30年戦争に参加した日本人の活躍を描いた『イサック』が選ばれました。真刈信二さんがシナリオを、DOUBLE-S(だぶるえす)さんが作画を担当しています。日本のシナリオライターと、韓国の作画家がコラボした作品です。今回は、作品の編集者である講談社の荒井均さんに、国境をこえた分業制漫画の制作の背景を中心にお話を伺いました。
−−『イサック』の連載が立ち上がった経緯を教えてください。
作画のDOUBLE-Sさんが「いい原作」と「描く場所」を求めているという話が社内で持ち上がっていました。僕は以前から真刈さんを担当していたので、真刈さんと、DOUBLE-Sさんが合うのではないかという「勘」があり、手を挙げました。真刈さんは、それほど詳しく聞いたわけではありませんでしたが、当時すでに日本の銃士がヨーロッパで戦うという構想をお持ちでした。その作品の内容がDOUBLE-Sさんの絵に合うのではないかと、声を掛けたのが連載のきっかけです。
−−DOUBLE-Sさんはソウルに在住ということですが連絡は日本語でされているんですか?
私が直接やりとりをしているわけではなく、代理人の方を通じてやりとりをしています。原作の翻訳に関しては別の方に頼んでおり、連絡のやりとりはその代理人さんにお願いをしています。
−−他の作品と比較すると多くの方が関わっているので、そのやりとりが大変ではないかと感じますがいかがでしょうか。
DOUBLE-Sさんも真刈さんもベテランですし、真刈さんは昔から漫画の原作を書かれているので、大変という感覚はありませんね。真刈さんとの原作の打ち合わせは細部まで行い、面白いものにブラッシュアップしていき、内容を密にすることで翻訳をされてもDOUBLE-Sさんが迷わないような原作にするよう心がけています。そうして出来上がった原作をDOUBLE-Sさんにお送りして、ネームにしてもらっています。
−−そのネームに対して真刈さんから「もっとこうして欲しい」というようなことはありますか?
稀にありますが、ほとんどありません。
−−分業制作によるすれ違いがなく、ピタッとパズルがハマっているような制作現場ですね。
はい、翻訳による齟齬のようなものもほとんどないです。DOUBLE-Sさんの理解力といいますか、原作の咀嚼力があると感じています。これは本当に驚異的で。真刈さんもベテランなので色々な漫画家さんと組んでいますが、「こういうつもりで書いたわけではなかったのに」と、原作の意図がうまく伝わらないということもあったと聞いていますし、それは分業の現場では当然あり得ることです。ただ、DOUBLE-Sさんの場合は、言語の壁を越えても、そうしたことがほとんどなかったというのは本当にすごい方だなと改めて思います。
−−原作をお渡しした後の流れを教えてください。
ネームを確認した後は、下書きを送ってもらっています。下書きは背景もほとんど入ったような状態ですね。それをチェックしたら、2〜3日後に原稿をもらうという流れです。
他の漫画家さんとのやり取りで一つ違うのは、「書き文字」です。DOUBLE-Sさんが日本語ネイティブではないため、どういう書き文字を入れたらいいのか、細かいニュアンスを、こちらから提案をしています。それは他の作品ではやったことがない手順ですね。
−−キャラクターの造形についてはどのように決まったのでしょうか。
原作をもとにDOUBLE-Sさんがキャラクターを描いています。ほとんど、原作を通じてのみ、やりとりをして漫画を作り上げている形です。原作に書いてあることが全てで、そこをきちんと漫画にしてもらっていますね。
資料の面で言えば、昔の戦争の話なのでわからないことも多々あります。そうしたことに関しては、真刈さんにお願いをして略図を書いていただいたり、私が資料を集めて真刈さんに確認をした上で、DOUBLE-Sさんにお渡ししたりしています。
−−今コロナの状況で、漫画家さんによっては制作環境が変わっているかと思います。コロナによって何か大きく制作の環境が変わったということはありますか?
もともとDOUBLE-Sさんには直接会うことはほとんどなくなく、連載をしていたので変化はほとんどありません。真刈さんとはコロナ以前は、月に2回ぐらい会って打ち合わせをしていましたが、今は電話とメールだけのやりとりなりました。今は真刈さんとはもう1年以上会っていないので、そうしたコミュニケーションの面では変化がありました。
−−直接会わないという状況で、漫画を作るのは難しそうに思います。
目の前の1話1話を話すときに問題はありませんが、先々の話といいますか、打ち合わせが終わってお酒を飲んで雑談がてら、ちょっと先々の話をする機会がなくなりましたね。そうした雑談の中から、「それいいですね」といったアイディアが出たりしていたので。
少し別な話をすると、例えば漫画家さん1人だったら、担当編集者が会いに行けばますが、分業制の場合はそういう機会が作れません。今はさらにコロナ禍なので、本当は昨年の1月か2月に、私と真刈さんと代理人さんとでソウルに行って、お会いする約束をしたのですが、それも無くなってしまいました。
今、こういう制作体制だと、原作を渡して、ネーム、原稿をもらって終わりという感じになってしまう。それ以外のやりとりがなかなかできないのがコロナ禍で一番困っていることですね。分業制の場合、原作者と漫画家が会わないほうがいいという考えの人もいますが、真刈さんとDOUBLE-Sさんは、1年か半年に1回くらい会った方が良いかなと私は思っているので。コロナで会うことができなくなり、作品のクオリティに問題が出てくるわけではないですが、困っているところかもしれません。
−−編集者の荒井さんの視点から、分業制漫画ならではの良さはなんだと思いますか?
漫画、特に絵を描くのはすごく大変です。ネタを仕入れたり、ストーリーを考えたりする部分を別の人が担うのは、素晴らしいところだと思います。もちろん一人で考えて、一人で描く良さはあります。分業制作の場合は、絵を描く人、話を考える人など、色々な人が集まって何人かで話し合って、あれこれしながら作るっていうのは、漫画の制作方法として素晴らしいと思います。
−−最後に改めて『イサック』の魅力を教えてください。
まず一つは、設定の面白さ。日本の男が銃を一丁持って、ヨーロッパで戦うというのは、荒唐無稽に見えるけど、ありえたかもしれないという絶妙な設定が素晴らしい。そしてDOUBLE-Sさんが、「イサック」という男をかっこよく描いている。かっこいい男をかっこよく描くのは、なかなか難しいことです。かっこいいというのは、見た目もそうですが、ちょっとクールで、心の底を見せないような男、そうした古風な主人公像を、古っぽく見せずに現代の作品として描いています。設定の魅力と、主人公の造形、佇まいの魅力が詰まった作品です。
▼第2回さいとう・たかを賞レポート
https://www.saito-pro.co.jp/archives/3233
取材・文:松尾奈々絵(レインボーバード合同会社)